教会旋法(チャーチモード)のとらえ方

皆様は 教会旋法 というものをご存じでしょうか? チャーチモード 、ギリシャ旋法とも言います。

ハ長調とか、ト短調とかは学校の音楽の授業でも習うので、聞いたことあるかと思います。旋法(モード)とは、ざっくりいうとその延長にあるものです。(もちろん、歴史的には逆ですが)

~長調、~単調というと、主に使用する音がこれだよ、といった意味になります。ハ長調ならドレミファソラシド、ト短調ならソラ♭シドレ♭ミファソを主に使う、ということですね。

旋法は使用する音に加え、フレージングのルールなどを含むこともあります。この記事はそこまでの話は出てきません。

そもそも、教会旋法って?

教会旋法は、もともとグレゴリア聖歌の分類のためにできたものです。(なので厳密な意味では、「ギリシャ旋法と同じ」と言ってはいけないかもしれません。)

現代の音楽は大きく長調(明るい)と短調(暗い)の2種類しかないのですが、グレゴリア聖歌の時代はもっと使い分けられていたようです。

ピアノの白鍵でドレミファソラシドを弾けば長調(ハ長調)、同じく白鍵でラシドレミファソラを弾けば短調(イ短調)といったように、レから始めたら…ミから始めたら…それぞれに名前を付けた、というのが、一番簡単な解釈かと思います。

ちなみに、それぞれの旋法をドから始めたら、下図のようになります。

現代では、一部の音楽で長調/短調のみの音楽からの脱却を目的として使用されたりするようです。

嬉しさがわからないんだけど…

はい。そういう人は一定数いると思います。というか、私がそうでした。

ドリアン?単純にハ長調をレから始めただけじゃん!なんの意味があるの?って思ってました。

「この曲はドリアンスケールを使用していて…」という説明を聞くことはあれど、よく使う音が違うだけで、結局イ短調だよね?とも思っていましたね。

小難しいことを言えば終止形がどうとか理論的な話はできるのかもしれませんが(私はできません)、これって、要するに長調/短調のインパクトが強すぎて、他が淘汰された結果だと思うんです。

微妙な感覚を楽しむ

多分、教会旋法の嬉しさがわからないというのは、逆を言えば長調・短調で捉えたがっているからなのかも知れません。(やっぱりなじみのある解釈に置き換えて考える方が楽ですしね)

敢えて長調/短調の枠組みを捨てて、「ただレから始まるだけの音階」の、長調と短調の間にある微妙な感覚を感じてみると、見方が変わってくると思います。

ちなみに個人的にはリディアンスケールの、どこか寂し気な感じがとても好きです。

余談

教会旋法とは関係ないのですが、アラブ音楽の旋法に、「バヤティ(Bayati)」というものがあります。これはアイオニアンスケール(ハ長調)のミとシが半分だけフラットするんですよね。なので、いうなればドリアンとフリジアンの中間の音階を使います。

さらに言うと、微分音=半分だけフラットを的確に取れないと、アイオニアンの明るさ、ドリアンの厳粛・優雅・静寂のどっちつかずになってしまいます。

終わりに

教会旋法の詳細な説明は他のサイトに譲るとして(というか譲らざるを得ない)、「教会旋法?何それうめぇのか?」的な感覚の方(=私)にはある程度その意義・嬉しさが伝わったのではないかと思います。

要するに「楽しい/悲しい」だけでなく、嬉し泣きや泣き笑いなど、そういったちょっと複雑で、でも感覚的には微妙にしか違わないその差に目を向けると、理解が進むかと思います。

ちなみに現在私はアラブ音楽の旋法(マカーム)を勉強中ですので、興味がある方は是非世界のさまざまな旋法にも目を向けると音楽の幅が広がるかもしれません。

そういったものについても、今後機会があれば書いてみたいと思います。